同じ職場の後輩M君が私に語ってくれた話である。

彼の学生時代のことで、その事件からはざっと20年近くの時間が過ぎたという。本当は忘れたいと思いながらも、今も不自然な謎を残したままになっていて、どうしても当時のことを思い出してしまい考え込むことがあるのだと、苦い表情で語っていた。

仕事を通じて親しくなった先輩(私のこと)だが、これまでの人生で一番信頼できる人だし、思い切って話してみることでひと区切りつくかもしれない…と考えたそうだ。

 

今回、このような形で原稿にすることにも同意してくれたが、あくまでも個人情報や関連する団体などが詮索されぬように、固有名詞や地名などをすべてイニシャルや仮名、または別なものと置き換えるようにしている。話の大筋だけは描けるようにして、細部については創作されたところもあると考えてほしい。

会話などについても、当時のままを再現することは難しく、後輩M君のおぼろになった記憶に私が想像で肉付けしたところも多い。

この話を読む前にそれらのことを十分に理解しておいてほしいと思う。

 

M君は高校を卒業するとある私立大学に進学した。仮にP大学としておこう。P大学は誰もが知っている有名大学、偏差値もなかなかのものなので、合格発表で自分の番号があったときはうれしかったという。受験勉強から解放されたM君は入学後に大学生活を楽しもうと、ふたつのサークルに加入した。

ひとつは、卒業後の進路を意識して、ある資格試験の準備のためのまじめな固いサークルである。もうひとつは当時たくさんあったシーズンスポーツのサークルである。夏はテニスやマリンスポーツ、冬はスキーといえばスポーツにまい進するイメージがあるかもしれないが、内実は飲み会、合コン、恋人探しの合間にテニスやスキーの名を借りた合コンツアーの開催に勤しんでいるようなものだったそうだ。

M君が選んだのは、Gという名の比較的こぢんまりとしたサークルだった。Gは幽霊サークル員を除くと1年から4年まで合わせて男子40数名女子10名、これに提携する女子大からの参加が20名くらいあった。

あくまでも運営は男子学生主体のところがあって、女の子であれば誰かの紹介で随時参加は大歓迎であったため、イベントやツアーごとに新しく参加する女子学生はそう珍しくなかった。サークルの代表と幹事長は3年生だが、活動と運営の中心は2年生が担っており、その年の幹事団は4人の2年生男子と1人の2年生女子に提携女子大の2年生幹事2名の7名が名を連ねていた。

M君は2年幹事団のリーダー役で、サークル内ではこの役職を「キャプテン幹事」通称「キャプ幹」と呼んでいた。また、そのキャプ幹の補佐役として副キャプと呼ばれる者が数名いて、M君がキャプ幹の年には男子学生のD、某女子大メンバーのH子が副キャプになっていた。

新歓シーズンで新しいサークル員を獲得することがまずは最初の大仕事である。当時このタイミングまでは、3年生が就活を始めておらず、2年幹事団もつい昨日までは最下級生だったので、ほとんどの計画と活動は3年生の代表と幹事長を中心とした前年のキャプ幹と副キャプらが仕切っている。2年幹事団はその手足となって、新入生に声をかけたり合同説明会でパフォーマンスをしたりしている。容姿の優れたサークル員男子数名で、電車に乗って近隣の女子大の門の前に行き、警備のおじさんににらまれながら、登校してくる女子大生にサークル参加募集のチラシを撒いたりする。

また、サークル員各々がどこかで知り合いになった他大学の女子大生を通じて、他大学のキャンパスでも募集活動を行っていたりした。要は多くの魅力的な女子学生と広範につながることが活動のすべてであるといってもいいのだ。とんでもないなと、20年も昔の話なのに聞けば聞くほど思いたくなる。

話が横道にそれてしまった。

 

M君はキャプ幹として最初の大きな仕事は、その年の夏合宿であった。

7月に前期試験が終わると大学は長い夏休みになる。

その夏休み前に幹事団は夏合宿の予定を組んで、サークル員全員に配布し参加者を確定しなければならない。最初にできるだけ女子を集めなければならない。なぜならば女子の参加者が多ければ、必然的に男子の参加者が増え、参加費は男子のほうを3割くらい高めに設定するから会計が楽になり、打ち上げその他に使えるプール金が作れるのだ。

合宿地の選定も大切である。海か山か、テニスコートは何面か、プールはあるのか温泉があるのか、BBQはできるのか、花火はできるのか、細かな調査が必要になってくる。

面倒くさくなって、旅行代理店に丸投げしてもいいが、結果、施設がぼろい、飯がまずいとか体育大学のモノホンの運動部合宿と同じ宿になって、夜騒いでトラブルになり殴り込まれるとか、参加者のブーイングを浴びることになる。

M君はサークルの合宿地として定番になっていた信州〇×ビレッジか茨城△▲スポーツセンターなどにすれば無難だと考えていたという。

その前年度の夏合宿が千葉の九十九里にある施設であったため、雰囲気はすばらしかったのだが、日程の後半は台風が接近してビーチには出られないどころか、風雨も強くなり宿でトランプする以外の楽しみがないままだったのだ。

まずは、上級生やOBなどの予定を聞き、だいたいの日程を決める。その上で、候補の合宿施設に電話を入れるのだが、信州も茨城もなぜか予約がいっぱいであった。日程をずらせば大丈夫だったが、カンパをしてくれるだろう上級生やOBの予定を聞いてしまっているのでできるだけ日程は変えたくない。前年の九十九里にも電話を入れたが、日程を1週間ずらせば大丈夫だという。一応、これを仮押さえして、最初に決めた日程通りでいくつか電話を掛けたがなかなかぴったりのところがみつからない。前期試験も少しずつ近づいてきて焦るのだった。そんな時、副キャプだったH子が知り合いの旅行代理店に聞いてみるといって、G県のZ町にある旅館を調べてきた。誰も行ったことがない宿と地域だったが、町営のテニスコートやグラウンドが格安で使える。旅館にも大浴場はあるが歩いて町営の温泉施設に行ける。宿は30人以上なら貸し切りにできる。大広間に寝てもいいなら5060人まで収容できる。自分たちで布団を上げ下げし、食事も給仕するなら、食事のメニューは充実させるなどの条件が提示されてきた。料金は他に比べかなり安いと感じたという。問題は駅から遠いということで、タクシー移動などに余計な出費がかかりそうということだった。

H子の知り合いの旅行代理店にそのことを言うと、行き帰りに貸し切りバスを入れる見積もりを付けてFAXが届いた。JRの電車代に学割を使っても往復で数千円かかることを考えればバスはずっと安く済む。途中参加の上級生やOBにはタクシーやマイカーを使ってもらうことにすれば問題ない。午後の時間帯に5人以上がそろえば、宿が駅前に送迎のマイクロバスを出してくれることも伝えられた。

 

条件面ではこれ以上ないと思われた。幹事団で相談して、貸し切りバス利用者の参加費、自前でやってくる参加費、などを計算しサークル員全員に通知した。

 

こうして夏合宿はスタートした。

※「行方不明2人②」に続く

行方不明2人② : 投稿ブログ 暗闇珍奇怪談(blog.jp)